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大震災は防災意識をどう変えた?和気産業の物流視点で語る30年間の防災変遷

大震災は防災意識をどう変えた?和気産業の物流視点で語る30年間の防災変遷 

12

2025

Mar

1995年の阪神淡路大震災から30年という節目を迎えました。 

この30年の間には、阪神淡路大震災以外にも、東日本大震災、熊本地震、そして能登半島地震など、日本各地で甚大な被害をもたらした地震災害が発生しました。 

和気産業は、阪神淡路大震災を機に防災グッズの取り扱いを強化し、以降発生した様々な震災において、それぞれの状況に応じた商品をいかに迅速かつ適切に届けるかという課題に直面してきました。 

過去の震災を振り返り、人々の防災意識や必要とされるものがどのように変化してきたのかを和気産業の大阪・滋賀・埼玉・茨城・福岡、各拠点の物流担当者の話をもとにまとめていきます。 


  • 森本(1986年入社) 大阪事業所物流担当
  • 村田(1989年入社) 日野物流センター物流担当
  • 田辺(1996年入社) 結城物流センター物流担当
  • 秋山(1990年入社) 東京事業所物流担当
  • 嶋崎(1995年入社) 福岡事業所物流担当
  • あらいもん(2020年入社 ) 本社メディアプロモーション室・いいものマガジン編集部員

地震の恐ろしさを実感した「阪神淡路大震災」 

新井さん
あらいもん

まずはじめに阪神淡路大震災について、大阪事業所の森本さんと滋賀県にある日野物流センターの村田さんにおうかがいします。それぞれの拠点では、地震のときどのような状況でしたか? 

森本さん
森本(大阪)

地震があったとき、大阪は大きく揺れました。まだ朝の5時台でしたが、家が崩れてしまうと思って飛び起きて、とっさに一回り歳の離れた妹をかばったのを覚えています。 

大阪事業所でも、倉庫の棚から商品が落ちたり、壁にひびが入ったりということがありました。当時できた壁のひび割れは今でも残っています。 

森本さんが阪神淡路大震災のときにできた壁のひび割れを指さしている様子
森本さん
森本(大阪)

地震後、検査をして、構造に問題ないことを確認してもらったので、そのまま残しています。 

村田さん
村田(滋賀)

滋賀も大きく揺れて、何事かと思って起きてニュースを見て、惨状を実感しました。 

日野物流センターは特に問題なく、出荷できる状態でした。 

普段の日野物流センター
平常時の日野物流センター
新井さん
あらいもん

当時はまだ生まれていないので、よく知らなかったのですが、大阪事業所に残るひび割れから、被害の大きさを改めて感じました。 

地震後はどのような対応をされたのでしょうか? 

森本さん
森本(大阪)

当時、私は営業事務でしたが、防災グッズの取り扱い自体が少ないこともあり、注文が立て込むほどではありませんでした。 

家具の転倒を防止するために、接合金物のL字金具を必要とされるホームセンターが多かったようで、自ら神戸まで持っていく営業担当者もいました。 

村田さん
村田(滋賀)

一般家庭で使うことを想定した防災グッズはなかった時代で、日野物流センターでも防災グッズの取り扱いは少なかったです。そんな中、家具転倒防止の突っ張り棒や針金、L字金具など、防災に使えるものをたくさん出荷しました。 

L字金具は1日で3年分の在庫が出たなんて話も聞きます。 

L字金具
新井さん
あらいもん

3年分も!たくさん必要とされたんですね。 

防災の用途で針金を使うイメージはなかったです。何に使われていたんでしょうか? 

村田さん
村田(滋賀)

想像ですが、モノを束ねたり、固定したりに使っていたんだと思います。 

現在は子会社のアイアイが担っていますが、当時は針金加工の生産事業部があり、針金を二次加工してから出荷していました。地震の影響で需要が増えた針金は、加工前の資材が入ってこなくて、入ってきてすぐ加工してを繰り返しても全然追いつかない状況でした。 

新井さん
あらいもん

当時は防災グッズの取り扱いが少なかったというお話でしたが、その後はどのように変化したのでしょうか? 

村田さん
村田(滋賀)

阪神淡路大震災を機に防災グッズを作りはじめるメーカーが増え、新しい取引先も増えました。 

新井さん
あらいもん

以前取材させていただいた旭電機化成も、阪神淡路大震災をきっかけに取引をはじめたとおうかがいしています。どこの企業にとっても、防災への考え方を変える地震だったということですね。 

能登半島地震のときも協力して防災グッズを出荷しました

防災の選択肢が増えた「東日本大震災」 

新井さん
あらいもん

続いて、東日本大震災について、茨城県にある結城物流センターの田辺さん、東京事業所の秋山さんにおうかがいします。それぞれの拠点では、地震のときどのような状況でしたか? 

田辺さん
田辺(茨城)

結城市は震度5強と大きく揺れました。海から離れている市のため、津波の影響はありませんでしたが、倉庫の棚の一部は倒れ、停電もあって、何もできない状態でした。地震直後はひとまずパートさんを屋外に避難させましたが、とても寒くて、運送会社さんが貸してくださった荷物を保護する用の毛布で暖を取りながら、その場をしのぎました。 

動かない電動シャッターの代わりにパレットなどでバリケードを作って、後の出荷に対応できる状態にしました。 

結城物流センター外観
平常時の結城物流センター外観
普段の結城物流センター
平常時の倉庫
秋山さん
秋山(埼玉)

東京事業所は棚から商品が落ちる程度で被害が少なく、出荷できる状態でしたが、地震発生直後から計画停電の話が出ていたので、どのように出荷するかを相談していました。 

普段の東京事業所
平常時の東京事業所
新井さん
あらいもん

茨城県は地震だけでなく津波の影響もあって、大変な状況でしたが、結城市はどうにか出荷ができる状態だったんですね。 

地震後はどのような対応をされましたか? 

田辺さん
田辺(茨城)

翌日の3月12日(土)には停電がおさまったので、社員が出勤して倒れた棚を戻して、出荷に備えました。13日(月)からは出荷を再開して、節電要請に応えて暖房とハンディスキャナなしで作業をしました。荷物が途中の集配所などで滞ることが多く、出荷や入荷の商品を回収しに行くこともありました。 

秋山さん
秋山(埼玉)

東京事業所も13日(月)から出荷作業をしましたが、被災地に商品を届けるための高速道路に通行規制がかかっていて、通れないという状況でした。そこで、通行規制された高速道路などが走行できる「緊急通行車両確認標章」の届け出を警察署に出すところからはじめました。 

新井さん
あらいもん

出荷ができる状態でも、届けるまでの道のりが大変だったんですね。 

どのような商品が必要とされましたか? 

田辺さん
田辺(茨城)

シリコンやセメントなど、補修剤がよく出ました。他にも、『開き戸ロック』などの家具に使う防災グッズや、寝袋など暖を取るための商品が必要とされました。 

開き戸ロック
田辺さん
田辺(茨城)

和気産業での取り扱いはありませんでしたが、被災した地域では自転車が何百台も売れたというお話を聞いています。ガソリンの供給が追いついていなかったことが原因で、茨城県でも車通勤のために午前2~3時にガソリンスタンドに並んで入れるような状況でした。 

秋山さん
秋山(埼玉)

阪神淡路大震災のときは、家具転倒防止の突っ張り棒やL字金具が出た印象がありますが、東日本大震災では耐震ポールの他に、ジェル状の耐震粘着固定シートや傾けることで家具の転倒を防止する商品、シリコンやセメントの補修剤、浄水器がよく出ました。 

新井さん
あらいもん

浄水器が必要とされたんですね。 

秋山さん
秋山(埼玉)

はい。東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って、さまざまな情報が出回ったことが影響しています。 

新井さん
あらいもん

そういう経緯があったんですね。 

東日本大震災後、どのような変化がありましたか? 

田辺さん
田辺(茨城)

どこの企業でも防災グッズの取り扱いが大きく増加しました。 

保存食が増える企業、携帯トイレを十種類以上揃える企業、寒さ対策の商品に力を入れた企業など、地域や企業によって違いはありますが、どこも増えています。車の利用者が多い東海地方の企業では、水を使わずに洗えるシャンプーなど、車中泊で使えるものが増えた印象があります。 

秋山さん
秋山(埼玉)

結城物流センターと同じく、電気や水などライフラインが止まったとき、避難所や自宅で生活するために必要なものが増えました。家屋が倒壊するような大規模災害では、地震による被害を少なくしようとしてもどうにもできない面がありますので、その後を生きていくための商品、水タンクや携帯トイレ、防寒グッズなどの需要が高まっています。 

会議の様子
新井さん
あらいもん

東日本大震災をきっかけに、地震そのものへの対策から、避難後の生活を意識した商品へ、需要が移り変わったということですね。 

地震への備えの課題を感じた「熊本地震」 

新井さん
あらいもん

熊本地震については、福岡事業所の嶋崎さんにお話をおうかがいします。 

熊本地震が起きたとき、福岡事業所はどのような状況でしたか? 

嶋崎さん
嶋崎(福岡)

熊本地震があった、2016年4月14日(木)は物流会議に出席するために東京事業所にいたんです。晩御飯を食べているときに地震があって、翌日飛行機が飛べるかわからない状況の中でどうにか福岡に戻りました。 

新井さん
あらいもん

出張中だったんですね。福岡事業所に戻ってからはどのような対応をされましたか? 

嶋崎さん
嶋崎(福岡)

出荷できる状態だったので、パートさんを含む従業員一丸となって熊本のために黙々と出荷作業をしました。交通規制があって、現地に届けるのが難しい状況でしたが、災害用品と伝わるように貼り紙をして何とか送り出しました。 

九州では台風被害も多いですが、事前にある程度被害の予想がつくので対策はしやすいです。しかし地震の場合は、そうはいきません。とにかく力になりたいという思いから、残業してでもひたすら作業しました。 

福岡事業所と嶋崎さん
新井さん
あらいもん

突然の災害で苦しむ地域のことを思って、作業されるわけですね。 

どのような商品が出荷されたのでしょうか? 

嶋崎さん
嶋崎(福岡)

印象深いのは、区画整理や危険表示に使う標識やロープです。普段は頻繁に出るものではないので、避難所や損壊があった場所で使われるのかなと思いながら出荷しました。 

新井さん
あらいもん

危険表示など、一目でわかる目印が必要になる場所は多そうです。 

熊本地震後に意識や商品の変化はありましたか? 

嶋崎さん
嶋崎(福岡)

九州は台風対策はできているホームセンターが多いですが、地震となるとまだまだです。 

東日本大震災後に防災関連の棚の数が大幅に増えましたが、徐々に減っていって、最近では地震があったときにだけ一時的に防災グッズの陳列が増えるといった状況です。 

日向灘地震が起きたときも感じましたが、九州は本州に比べて南海トラフへの警戒が足りないのではないかと思います。 

新井さん
あらいもん

地震への警戒や意識にも地域差があるんですね。大阪では南海トラフについて大きく取り上げられることが多いので、注目していない人でも自然に情報が入ってくるイメージです。 

防災への意識が変わった「能登半島地震」 

新井さん
あらいもん

最後に能登半島地震について、おうかがいします。 

大阪は長く横揺れしましたが、大阪事業所はどのような対応をされましたか? 

森本さん
森本(大阪)

能登半島地震は、年始休業中の2024年1月1日(月)に起きましたが、携帯トイレを緊急で出荷してほしいという連絡があって、対応するために準備をしました。最終的に出荷しないことになりましたが、緊急時に頼っていただけること、メーカーさんや運送会社さんが協力的に動いてくださったことがありがたかったです。 

出荷を再開したのは4日(木)からで、携帯トイレが何百ケースも出ました。 

年始はいつも注文が増えますが、それ以上の状態が数カ月続きました。東日本大震災のときは半年ほど注文が多い状態が続いたので、それよりは短かったですが、それでも影響の大きい地震だと感じました。 

新井さん
あらいもん

大きな災害の後は、被災地以外の地域でも防災意識が高まるため、数カ月間も注文が増えるんですね。村田さん、日野物流センターはいかがでしたか? 

村田さん
村田(滋賀)

日野も1月2日(火)の段階で緊急発注をかけて、メーカーさんに在庫を確保していただきました。携帯トイレや防寒グッズなど、一回の注文量が普段の5倍の会社もあって、メーカーさんや運送会社さん、各拠点のみんなで協力することで対応できたと思います。 

村田さんが話している様子
新井さん
あらいもん

注文が多いときこそ、社内だけでなく、メーカーさんや運送会社さんと協力することが欠かせないんですね。能登半島地震後は必要とされる商品に変化はありましたか? 

嶋崎さん
嶋崎(福岡)

九州では、能登半島地震から必要とされる防災グッズが変わったと感じています。 

これまではやはり耐震で、家具の転倒防止が多かったと思いますが、能登半島地震後は避難を意識した商品が必要とされるようになっています。特に沿岸部は携帯トイレや防災グッズがセットになったリュック、避難経路を塞がないための耐震ポールが出ている印象です。 

秋山さん
秋山(埼玉)

関東では九州よりも早い段階、東日本大震災以降から避難を意識した商品が必要とされているように感じます。ライフラインが寸断されたとき、どう生きるかを考えた商品が増えていますよね。 

新井さん
あらいもん

全国的に避難生活を意識した需要に移り変わってきているということですね。 

森本さん
森本(大阪)

大阪でも、携帯トイレの種類や容量が増えたり、保存水がよく出たり、避難生活に必要なものが必要とされていると感じます。 

田辺さん
田辺(茨城)

そうですね。特に消耗品である携帯トイレは、地震がある度にたくさんの注文が入ります。あらかじめ備蓄を増やすなど、物流のあり方も変わってきています。 

新井さん
あらいもん

地震に対応されてきた物流担当のみなさんのお話を聞いて、地震が起きたときだけでなく、その後の電気や水道が長期的に止まった場合や避難所生活を余儀なくされた場合に、命を守ることができる備えが大切なことを再確認しました。 

命を守るための行動を、すぐにとれるような備えを! 

和気産業では、在庫管理を見直すなど、地震への備えや対応を強化しています。 

それでもいつ来るかわからない、追いつかないのが自然災害。 

いいものマガジンウェブでは、非常用持ち出し袋の作り方や防災の考え方、携帯トイレや防寒グッズなど防災に欠かせない商品について掘り下げる記事など、非常時の備えの第一歩になるような情報の発信を続けています。 

いいものマガジン防災記事一覧

いつかではなく、今。命を守るための行動をとるために考え、備えましょう。 

※この記事の内容は、2024年12月の取材を元にしています。会社名や登場人物の年齢、役職名などは当時のものになっている場合がありますので、ご了承ください。 

2025.03.12
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